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24時間、週に7日。妻であり、母であるわたしの雑感。

ピンクは誰のもの

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わたしの胸の上で下の子が、膝の上で上の子がそれぞれ昼寝に入ったので、唯一動かせる指を駆使してdマガジンの流し読み。毎回楽しみにしてるVERYの小島慶子さんのエッセイを読んでいて、ビビビッときたのでブログを書くことにした。

 

VERY(ヴェリィ) 2018年 09 月号 [雑誌]

VERY(ヴェリィ) 2018年 09 月号 [雑誌]

 

 


小島さんの今月号のエッセイは息子さんのパーカーの色について。小気味良いテンポで進められる文章はぜひ実際に一読いただきたいのだが、簡単にまとめると「息子がピンクのパーカーを欲しいと言い、夫が再考するように説いた結果、イエローのパーカーにしてしまった。子どもの意志を尊重するのは難しい」という内容。

この「ピンク」というカラーがこのエッセイのキモ。なぜピンクなら再考なのか。ブラックだったら再考を促しただろうか。という問題提起。読みながらそーだそーだ!と拍手喝采のわたし。

 


わが家の上の息子は最近、ピンクにハマっている。何がきっかけだったかは定かではないけれど、ピンク・イエロー・ブルーの3色があったカップも、ピンク系とブルー系があったサンダルも、本人に選ばせたら「ピーンク!」と即決だった。

 


わが子は元々色白で顔立ちもパーツも全て丸みをおびてタヌキ顔なので、淡い色…特にピンクもよく似合う。息子もわたしも好きな色なので、自然と着せる洋服もピンクが増えてしまった。

 


子どもが集まるような遊び場へ行くと、少し年上の子(4~6歳くらい?)のお兄ちゃんお姉ちゃんに「女の子~?」と訊かれることが多かった。本人はまだ性別の概念がよくわかっていないため、ニコニコしているだけである。すると彼らは「コイツ何もわかってねぇな」とでも言うように、親であるわたしに向かって訊いてくるのだ。「ねぇ、何で男の子なのにピンクの服着てるの?」

 


お友だちと遊んだ日、淡いサーモンピンクのTシャツに赤と白のストライプのショートパンツを履いていた息子。その日一緒に撮った写真をLINEで写真を共有したら、「パパにも見せたら、(息子)くん女の子の服着せられてるやん(笑)だって!」とコメントが返ってきた。

 


子ども達にもお友だちにも、悪気は一切ないのはわかっている。もちろんその夫にあたる「パパ」にも決して悪意はない。率直に、無邪気に、言っているのだ。

だけどわたしはこの「無邪気な」コメントにいちいちひっかかりを覚えてしまう。

 


どうして男の子がピンクを着ていると質問されてしまうのか。ピンクが「女の子の服」と言われてしまうのか。

 


無意識の刷り込みがすごい。お友だちの夫はわたしの同世代なので30代半ば。褒められたものじゃないけど、まぁそんなものかな、と思う。気づいていないだけで、わたしにもきっと沢山ある無意識の刷り込みの最たる例「ピンクを着るのは女の子」。

 


でも、もうそんな時代は終わりにした方が良いのじゃないかな、と思うのだ。男性も女性も好きな色を好きなように着たらいい。それぞれが似合う色や好きなデザインを自由に纏う、それでいいじゃない。

 


そんな寛容な時代を実現していくのは、わたしに質問してくる小さな子ども達だ。しかし悲しいかな、彼らの中にはこの世の中に生まれてまだ数年なのに、もうすでに刷り込まれてしまっている子もいる。

 


「男の子は青や緑、女の子はピンクや赤。」

「男の子は戦いごっこ、女の子はおままごと。」

「男の子は強いから泣かない、女の子は優しく大人しく。」

 


どこで刷り込まれてしまうのか。各家庭なのか、幼稚園、保育園などなのか。その両方なのか。

 


子を持つ親や、子ども達と接する機会のある先生達は、たとえ自分の中では「男の子(女の子)はこうあるべき」という信念があったとしても、決してそれを子ども達に押しつけちゃいけないんだと思う。子どもは子ども。自分とはまた異なる感性を持つ、一個人なのだから。

 


かくいうわたしも先日、息子に「足の爪に色塗りたい!」とせがまれ、ついつい「えー男の子なのに?」と言って断ってしまった。いけないいけない。男の子がペディキュアをしちゃいけないなんて誰も決めちゃいなかった。ただただ、猛省である。

 


時々自分の発言を振り返り、自分自身の価値観を押し付けてはいないか気をつけている。息子からピンクという色が好きだというその感性を奪ってしまいたくない。子どもは良いことも悪いことも、色んなことをグングン吸収していく。ここに育児の怖さと危うさを感じる。