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24時間、週に7日。妻であり、母であるわたしの雑感。

いい夫、辞めます

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日経DUAL掲載の中田敦彦さんのコラム、今回のテーマは結構思い切った内容でしたね。(同い年ということだけで以前から親近感を抱いていたので、以下「アッちゃん」と呼ばせていただきます)

 

dual.nikkei.co.jp


読んでいて「アッちゃんも、大変なんだなぁ」と、そう思いました。

タレントはイメージが大事な仕事だし、最近は「いい夫・いい父親」イメージから来る仕事も多そうなので、今回のこの発言はなかなか勇気のいることなのでは。

 

中田家のことは、このコラムからしかわからないので、想像の域を出ないということを前提に、わたしが感じたことをまとめてみようと思いました。

 

 

 

 
「いい夫・いい父親」イメージに付き合うのに疲れちゃったんだろうな…

このコラムを読んでいくと、アッちゃんがいかに周りから「どう見られているのか」を気にしていたかがひしひしと痛い程に伝わってくる。

後半文中出てくる「いい夫フィルター」を自分に必死でかけて、相手からどう見えるかを常に考えながら、自分で応えられる限りいろんな所からの要求に応えてきたんだろう。

 
「Fake it until you made it」という言葉があるけれど(なりたい自分のように振る舞えば、いつかなりたい自分になれる、みたいなニュアンスかな)きっとアッちゃんも「なりたい夫」のように振る舞い続けてきたんじゃないかな。

世間から賞賛される「良い夫・良い父親」ってやつに。

…が、目指していた「なりたい夫」になる前に疲れてしまったのかな?という印象。

 
「結婚して6年、彼女の要求にすべて応えてきた。」とある。

(妻側から見ると、どうかはわからない←ここ大事)

これはきっと、本当に妻のことが大好きで、彼女に好かれたいからこその行為だった、純粋な愛とサービス精神からそうしてきたのだと思う。

そのまま、新婚期間が過ぎ、子どもが出来る。

でも、まだまだ妻のことが大好きだから、妻の望むようにしたい。妻が求めるから、ワークライフバランスも見直して、子どもにとっても良い父親になりたい。

(そしてビジネスとしても「いい夫・いい父親」はカネになる!)

 
でもある日ふと、気づいてしまうんだよね。

「あれ?これって俺じゃなくね?」「俺、どこだ?」

 

 

 

じゃあ、アッちゃん自身、自分の中にある「いい夫・いい父親」ってどんな?

 

これまでは究極のサービス精神で、妻と世間が求める「良い夫」としてふるまってきたアッちゃん、「もう良い夫辞めます!」という、この思いきった発言の後、今後はどうするつもりなんだろう?

 

文中では

「仕事が終われば直帰していたこと。帰り時間などこまめに連絡していたこと。在宅時間を意識的に増やすこと。朝早く起きることなど、「いい夫」として課していたことを一切やめました。朝も起きないし、連絡もしない。その日のうちには帰るけれど、何時に帰るかは分からない。そんな感じです。」

とある。

これは・・・一気に女性、特に同世代の子どもをもつお母さん達から反感を買いそうな、典型的な「ダメ夫」だ。

 
極端な書き方をしているから「もう俺は夫としても父親としても何にもしないよー!オマエが大変だったら俺の稼いだカネを遣って、アウトソーシングしたらいいじゃん」みたいにも読めてしまうんだけど、実際はそこまでじゃないんじゃないかな?と思う。こればっかりは本当のところはわからないけど。
これまで、自分の中で思い切り家庭に振り切っていたメーターを、少し仕事その他に戻すという感覚なのかな?と。

 

個々の夫には個々の夫の、強烈な長所があります。そこを重点的に伸ばして、自分にフィットする家庭を作ることに注力したほうがいい。

 

この一文が心にストンと落ちた。

そうだよ、誰1人とっても同じ性格、同じ特技、同じ長所と短所があるわけではないので、個々人にとってカスタマイズされた「いい夫」でいいじゃないって。もちろん夫だけじゃなく、妻だって同様なわけで。世間一般が強迫観念のように押し付けてくる「良妻賢母」の呪いから、わたし達はそろそろ自由になっていい。

 

この一文があったからこそ、このコラム全体を通した印象として、これまでは妻や世間が求める「いい夫」像を追求してきたけど、俺は俺なりの「いい夫」を模索していくよ、という宣言にわたしは読めた。

アッちゃんが、どんな「いい夫」として進化するのか、ちょっと注目したいと思った。

 

「夫」あることは辞められる、でも子どもにとっての「父親」は辞められない

 

しかしながら、全体を通して気になることがあったのも事実だ。

 それは「子どもは?」ということ。

 


アッちゃんには確か、未就学児と未就園児、2人のお子さんがいたはずだ。だからこそ「いい夫」として

「仕事量を減らして、家族といる時間を増やして育児をする」。ワーク・ライフ・バランスを求める妻の声と世の中への解決策を追求してきました

ということだったはずだ。

 

それなのに、コラムの途中から「夫婦の攻防」のみに終始し、「子どもの存在」「父親としての自分」がすっかり抜け落ちてしまっているのだ。

 
これが共働き夫婦が家事をどう分担するか、という話だったら「面倒な家事はアウトソーシングでいいじゃない!それぞらの長所を活かした分野で分業しながらやってこーぜ☆」に拍手喝采だと思うが…

 

大前提として、「夫婦関係、親子関係は、絶対に維持しないといけないものではない」と位置付けるんです。世間一般の良い親であろうとする「良い夫フィルター」を外し、妻と別れてもいいし、子どもの親権は渡していい。全部クリアに、フラットにして考えました。

 
…って。あれ?子どもの意志は尊重されないの?というところでひっかかるのだ。

 

たしかに夫婦とはお互い同意の上で「この人を受け入れ結婚し、家族になる」と決めた相手なので「仕事が好きで稼ぐことが得意な男を夫に選んだのだから」…という論理はその通りかもしれない。(個人的にわたしはあまり好きな考え方じゃないけどね)

でも果たして子どもは…?

 
子どもは親を選べないで生まれてくる。そして特に小さいうちには、子どもの意志で親子関係を断絶したいということは、よっぽどのことがない限り、ほとんどないのではないだろうか。

 
これまで日々一緒にお風呂に入ってくれたりしたお父さんが、ある日を境に丸1日顔も合わさないくらい不在になる。食事も別。何時に帰宅するかもわからない。お母さんが用事で出かける時には、アウトソーシングされたシッターさんがつく。

当然、「あれ?お父さんは?」となり子どもは悲しむような気もする。


働いてお金を稼ぐこと

家事をして生活を回していくこと

 
それぞれ得手不得手も好き嫌いもあるし、夫と妻、どちらか一方が片側を担うなど分業体制することは決して否定しないけれど、育児は別の話だと思う。

 
育児はお父さんとして主体的に関わる、お母さんとして主体的に関わる、というふうにどちらも「主たる育児者」であるべきじゃないだろうか。

 
夫婦は離婚できる、夫は辞められる。離婚したその日から赤の他人に戻れる。

でも例え離婚して親権が相手方になったとしても、父親は辞められない。と、わたしは思う。

 


我が家の夫はどうだろうか


気になったので、夫に「どう?無理していい夫・いい父親演じてない?」と聞いてみた。

 「まぁ…演じてない、と言えば嘘になるけど…」

 

そうそう。最近あちこちで「育児に積極的な○○くんパパ」として、驚かれたり羨ましがられたりするからね。アッちゃんとは比べものにならないくらい狭い範囲ではあるけれど、夫もまた、イメージを背負って大変かな?とは思う。

 

曰く、家事の細かなところまで均等配分する必要は無く、多少どちらかに偏るのはいいんじゃないかなと思っているそう。

うーん…そうかな?わたしはそうは思っていないのだけど、ここはまだまだ話し合いの余地がありそうだ。

 


育児は、子どもにとっての「いい父親」でありたいそうだ。うん、いいかもね。

妻にとっての都合の良い「いい父親」と、子どもにとっての「いい父親」って多分きっと違う。


わたしは「いい父親として、オムツ替えてよ!」とか「いい父親として、子ども2人連れて出かけてわたしに1人の時間を頂戴!」とか、自分の都合の良いように「いい父親」を振りかざしてしまうけど、これはよくないね。

 
本当に子どもにとっての「いい父親」は、家族揃って「いただきます」を言えるように、食事の準備やタイミングを整えてくれたり、ママに叱られた後にこっそりフォローを入れたり、きっとそういう事だ。

 


今後、アッちゃんがどんな風に家庭運営をしていくかはミーハーなので興味がある。

もちろんわたしも、「子どもにとって」のいい母親と父親として、わが家なりの幸せな家庭を作っていくため周りに振り回されずに試行錯誤していきたい。