24/7

24時間、週に7日。妻であり、母であるわたしの雑感。

なんで育休を取りたいの?

夫が「育休を取りたい」と言い出した時に、真っ先に浮かんだ疑問だった。 もう少しわたしの気持ちのニュアンスを汲んで言い換えるならば、なんで育休「なんか」取りたいの? だ。


2015年に息子を授かった。
結婚して3年、念願の妊娠だった。

妊娠期間中、幸いなことに大きなトラブルもなく8か月まで仕事を続けられた。同じ会社に勤める同期や先輩・後輩と同じく、当然のように「産前・産後休暇+育児休業を1年くらいとって復職しよう」と自分の中でプランを立てていた。

保育園に入れることが大変だということを、知らなかった訳じゃない。でもどこか他人事だった。「子どもの多い、子育て世帯に人気の自治体の話でしょう?うちは何とかなるんじゃないかな?」


…甘かった。
産後、まだまだ小さな子どもをエルゴに入れて足繁く役所や近隣の保育園に通い情報収集をした。いわゆる「保活」の一環、関係ないとわかりつつも「少しでも顔と名前を売った方が有利に働くんじゃないか」となどと思い、保育園の子育て支援イベントにも積極的に参加した。


子どもが9月生まれだったので、2016年9月に年度途中で0歳児クラスの入園を希望するも「定員に空きがなくて…」と不承諾通知が届いた。あっけなく子どもは流行りの「待機児童」になった。

でも、この辺りはまだ余裕があった。ありがたいことに、会社は3歳の誕生日まで育児休業を認めてくれている。来年4月!これが本番!

10月の初めに鼻息荒く、次年度4月の1歳児クラスへの入園希望を出した。

多くの自治体での保育園の入園はポイント制で、両親の勤務状況や祖父母の同居状況、兄姉の在園があるかなどが細かくポイント化されている。
大丈夫、夫婦ともにフルタイム、両方の実家は遠方で頼れる祖父母もいない。持ちポイントとしては決して悪くないだろう。「お願いします!」祈るような気持ちで役所の担当者に書類一式を提出した。結果は12月下旬に、ということだった。

そしていよいよ年末、下旬ということだったので20日位から毎日ソワソワしていた。余談になるけれど、結果が届いたのは12月29日。役所は仕事納めも終わって閉庁していた。これには今でもモヤモヤした気持ちが収まらない。明らかに意図的な結果発送日でしょう。「どうしてうちが不承諾なのか」「待機何番目なのか」「二次募集の有無は」そういった面倒な問い合わせを受けずに、年末年始を挟む。そうすれば少しクールダウンするものね。

結果は、またしても定員超過による入園不承諾だった。


こんな一連の報われない「保活」に随分と神経をすり減らされた。更に、復職出来ないままに4月いっぱいで1年半支給のあった育児休業給付金が切れ「わたしの」収入が途絶えるという不安もあった。


更に「社会から取り残されている」という気持ちもあった。
いつになったら復職できるんだろう。現場から離れる期間が長くなればなるほど、ブランクは大きくなる。一緒に働いた上司や同僚はほとんどが人事異動で居なくなってしまった。
友だちは皆大変ながらもイキイキと楽しそうに仕事をし、順調にキャリアを重ねている(ように見える)。
雑誌もSNSも、どこもかしこも「キラキラワーキングママ」で溢れ、自分と同じ時期に出産をし、既に仕事を再開して活躍している人がイキイキした笑顔を振りまいている。
わたしは、何をしてるんだろう?焦りと孤独ばかりが募る。


「子どもの一番可愛い時期を間近に見ていられるんだから、ゆっくり休めばいいじゃない」

それも一理ある。確かに子どもは可愛い。そりゃあもう、目に入れても痛くないほどに可愛い。想像を絶するほどに、可愛い。

でも、24時間ベッタリが辛い時も少なからずある。理由もわからずとにかく泣かれ続けた時。家事が山積みなのに後追いされ、タスクが一つも減らない時。イライラもする。「あーーー!もう!」と叫び、逃げ出したくなる事だって一度や二度じゃなかった。


育児休業はありがたい制度、子どもと過ごせる幸せな時間、だけじゃないのに。

出口の見えないキャリアの断絶、社会から取り残される焦り、密室で子どもとひたすら向き合い続ける閉塞感…そういった感情だってあることも分かった上で「育休をとろうと思う」と言ってるのだろうか?

わたしがそんなモヤモヤを抱えている事には全く目もくれずに「子どもと過ごす時間を増やしたい!」と目をキラキラさせて言う夫に、苛立って思わず出た「なんで育休取りたいの?」

…でもこれって違う。疑問じゃない。これは、そう。保活に失敗し、キャリアに悩み、現状に閉塞感を抱えたわたしの、単なる恨み節だということに気づいたのは、しばらくしてからだった。